2012年05月
5月31
5月30
5月29
ファンタジーに登場する 「精霊」や「妖精」っていうと どんなイメージでしょうか?
サッカープレミアリーグなど見ておりますと 試合前やゴールを決めたとき
マンUのエルナンデスも アーセナルのロビンも 外国選手はみんな 神様にお祈りしてますよね
結婚式は神前結婚で 葬式は仏教でするのに
今の日本人は 無宗教だなんていわれて 心のよりどころとするものが無いって・・ 淋しいですね
神社の右側から山の頂上へ向かう道があり 途中に 縄の張った石がありました
社の周りは苔の絨毯で ふかふかでした
「神道」なんて聞くと なんだかおぞましい響きがありますが
遠い昔のわれわれの祖先は ありとあらゆる自然現象に畏敬の念を抱いて お祈りしたのでしょうね
素朴な庶民の信仰を 政治的に利用されたカタチが 「神道」のような気がします
「精霊」や「妖精」を感じる感覚と 古代の日本人はおんなじ感受性でお祈りし 貢物を捧げていたのだろうと思います
夏祭りや 秋祭りというカタチで 心の奥底に残っている感覚を
少しだけ探す気になれば こんなんが たくさん身の回りにある出雲という土地に暮らす われわれは
きっと 恵まれている と思うのですが・・
八百万の神ってとても人間的で へそを曲げたりすると
5月27
高さ10メートル級の 巨石群が並び
地元民が 「立石(たていわ)さん」と呼ぶ
島根半島の 石神信仰遺跡(島根県出雲市坂浦町)調査が 7日、始まった
5月24日 NHK夜の7時前のローカルニュースでも 採り上げられました
ののじろうは偶然 それを見てたもんですから こりゃーっ 行ってみなくては・・と
近くには家が一軒だけあって あまりたくさんの人がやって来て 大騒ぎになって欲しくないと おっしゃられているそうです
5月24
5月24
斐伊川のほとりに 薬湯あり浴すれば 身心やわらぎ再び濯げば 萬の病いゆ老若男女 昼夜をわかたず往来す名づけて 薬湯という ・・・「出雲風土記」より
スサノウの命のオロチ退治の伝説が この辺りには あちこちにあります
5月23
5月22
5月21
最近は 神社ばっかしで
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出雲にお集まりいただいた 八百万の神々は 1週間 出雲大社で縁結びの会議をされた後
松江の 「佐太神社<さたじんじゃ>」 に移動されまして
「猿田彦大神」主催で 宴会をされるそうです
見えている三つの屋根が それぞれ本殿で 本殿が三つある 珍しい造りです
真ん中が 猿田彦大神左が スサノウノミコト右が 天照大神 ・・が 祀られている とのこと
この佐太神社が 出雲国二宮です
出雲大社のような 長い参道はありませんが 新緑の山をバックに 美しい姿です
1 太い9本の柱、 まん中の柱は「心御柱」2 屋根は 切り妻様式 (三角屋根)で 傾斜がついている
3 入口は 妻入り (入口が 正面にある)
4 床は 高床式5 平面が 正方形になっている (真上から見ると 正方形)
出雲では それを静かにお見送りすることを
「からさで」 と言っています
そこで ここには「神立ち」という地名が残っていて すぐ近くの斐伊川に架かる橋は 「神立ち橋<かんだちばし>」 と言います
「万九千神社」は おかしな神社です 「立虫神社」と同居してるんです
上の写真の中の 左のしめ縄がついてる方が「立虫神社」
右のしめ縄の方が「万九千神社」 なのですよ
斐川町の田んぼの中にあって 二社合わせても 見過ごしてしまうほど 小さな神社です
「万九千神社」には それがなく ただ長方形の神楽殿みたいなのだけの ちっぽけな建て屋のみの神社なんです
全国の神々がここからお立ちになる 由緒ある神社にしては あまりにもちっぽけです
どうしてでしょう? ・・それは 謎です
5月19
旧暦10月10日の夜 「千と千尋の神隠し」みたいに ぞろぞろと
全国の神さんが大社の稲佐の浜に やって来なさる
縁結びの会議を なさりに
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それは あんまり古くって 不明だそうです もともとは 「杵築神社」として地元にあったらしいですが
神話の中では オオクニヌシが国を譲るかわりに 大きな神殿を造らせたのが 起源らしいです
その時 天照大神の命令で オオクニヌシに国を譲るように 説得しに来た神さんが 天穂日命<アメノホヒノミコト>で
天穂日命は そのまま出雲にとどまり オオクニヌシを助けて国を拓き
同時に オオクニヌシの監視役となって 出雲大社の宮司家の祖となった らしいです
大和朝廷が成立してからは 地方の豪族を「国造<くにのみやっこ>」に任命して 宮を造らせ
その地方の祭祀や政治を司らせて 支配に取り込んで行ったんですって
全国に130ほどの「国造」があったそうで だんだんそれは消滅しましたが 「出雲国造」だけは残って
今も 出雲大社の宮司家として 継承されているんですって
でも それは「熊野大社」じゃないかって説も あるらしいですよ
「熊野大社」は その頃 出雲大社以上の信仰を集めていた とも言われてますねー
「熊野大社」の主祭神は スサノウで 出雲大社は その子孫の オオクニヌシですから
本来 スサノウの方が 偉いわけですよねー
昔は 神社にも社格があったて その国の中で 社格の高いものから順番に 一宮、二宮、三宮、・・・と決められていたらしい
ですから 一つの国に 一宮は一つだけだったのですが 出雲国だけは例外で 一宮が二つあるのです
それが 出雲大社と「熊野大社」です
現在でも そう呼ばれてます
平安時代の出雲大社は 奈良の大仏殿より高い建築物で もちろん日本一で
当時の技術で そんなものを造ることが そもそも 可能なのか 出雲大社に残る絵図面の内容を
大手建設会社の大林組が プロジェクトチームをつくって 検証したんですって
そしたら 可能であるという答えが出た らしいのです
ところが平成12年 それを実証するように 本殿近くの地下から 工事中に偶然
48mもあったそうです これは15階建てのビルと同じくらいですって
そのため 平安時代から鎌倉時代までに なんと 7回も ひっくり返ってる(倒壊した)んです と
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