2015年05月
5月31
5月31
せっかく博多にきたんだから できるだけ歩いてみたいと思いましたが
26日の夜は 夜勤で一睡もできず
27日の夜は 夜行バスの中で なんだか気が立って 眠れず
この日は28日
さすがに くたびれました
座りたい!
というわけで 「キャナルシティ博多」のベンチに腰かけて しばし休憩
腹がへったぜッ!
数軒のラーメン店が実力を競う ラーメンスタジアムの
「金田屋」でラーメンを 食べました
夜の12時前にも 娘と二人で
博多駅ビルの10階にある 「一風堂」という店でも ラーメンを食べたのでした
(そちらの写真は あまりの疲れに 撮るのをわすれて しまいましたよ)
そして翌日29日 朝6時51分の 新幹線さくら504号に飛びのって
博多の町にオサラバした ののじろう父・娘だったのです
強行軍な旅でした
けっきょく娘は 観光などいっさいなしで
コンサートと 一杯のラーメンを食べただけでした
オヤジは それでも中洲地区を フラフラと歩きまわることはできたのですが
残念なことに 天神地区にいけなかったんです
天神といえば 屋台の飲食店ですので
コンサートが終ってから 娘といっしょにいこうと思ってたのですが
コンサート終了時の大混雑で バスに乗るまでに 3時間ちかくもかかってしまい
できなくなりました
ヤフオクドームへ 娘をむかえにいくバスの中から ながめただけでした
「キャナルシティ博多」のあとにも 天神へいく時間はあったのですが
疲れたからだが いうことをきかず
博多駅にもどって タバコすいながら 時間をつぶしたのでした
大きな町の 駅前に座りこんで 孤独な旅人気どりで いきかう人たちを
ただぼんやり見ていることも スキです
福岡といえば
チューリップに 海援隊に 世良公則だよな~ なんて思いながら・・・
5月30
5月28日
「三代目J Soul Brothersコンサート in 福岡 Yahoo!JAPANドーム 」
前日の27日夜10時 出雲から夜行高速バスで 出発し
28日の朝7時に ののじろう父・娘
博多入り
すぐに 直行臨時バスで ヤフオクドームへ むかい
娘は 三代目のオリジナルグッズ販売の 列にならびました
コンサートがじっさいにはじまるのは 午後6時半だというのに
午前8時に すでに 長蛇の列
幸いなことに 天気は曇り
これで カンカン照りだったら 病人がでるんじゃないでしょうか
まぁ~ ファンたちの根性は エライもんですwww
朝早くから コンサートの終わる午後9時すぎまで
まさに 熱狂!!!
もちろん オヤジはその間
博多の市内観光です
高所恐怖症ですが 福岡タワーにのぼってみました
今まで博多は まったく縁のない町で
はじめて うろうろと 歩きました
親しみやすい いい町ですね
駅ビルや 中洲 天神といったところに
巨大なショッピング街が あるのですね
大濠公園も ステキでしたし
なにより 九州の人の素朴なところが 気にいりました
すこしも 気取りのないところが
いつの日にか またいけたらいいなぁ~ なんて思いました
豚骨のラーメンも 美味しかったです
さて 夜9時がちかづき
娘をむかえに ふたたび ドームへいきました
夜景がキレイだなぁ~ などと 夜風にふかれながら待ちました
ヒルトンホテルの左に 昼間いったタワーが うつくしく光っていました
よ~く見ると 下のほうに サザエさんの顔のイルミがあります
コンサートが終ったのは 9時半ころでした
のんびり待っていたのですが・・・
収容されてた 5万?の人々が
各方面への臨時バスめがけて いっせいにでてきました
まるで 野生の王国の バッファローの群れの狂走みたいでした
立ちどまってるわたしをめがけて とどまることを知らずに
大地をゆるがすかのごとく 押しよせてきたのでした
生まれてはじめて 冗談ぬきに 人の群れに 恐怖をかんじましたよ
なんということでしょう
バスに なかなか乗れなくて
けっきょく 宿の博多駅前のホテルに帰れたのは
夜中の12時ちかくになってましたよ
コンサートがじっさいにはじまるのは 午後6時半だというのに
午前8時に すでに 長蛇の列
幸いなことに 天気は曇り
これで カンカン照りだったら 病人がでるんじゃないでしょうか
まぁ~ ファンたちの根性は エライもんですwww
朝早くから コンサートの終わる午後9時すぎまで
まさに 熱狂!!!
もちろん オヤジはその間
博多の市内観光です
高所恐怖症ですが 福岡タワーにのぼってみました
今まで博多は まったく縁のない町で
はじめて うろうろと 歩きました
親しみやすい いい町ですね
駅ビルや 中洲 天神といったところに
巨大なショッピング街が あるのですね
大濠公園も ステキでしたし
なにより 九州の人の素朴なところが 気にいりました
すこしも 気取りのないところが
いつの日にか またいけたらいいなぁ~ なんて思いました
豚骨のラーメンも 美味しかったです
さて 夜9時がちかづき
娘をむかえに ふたたび ドームへいきました
夜景がキレイだなぁ~ などと 夜風にふかれながら待ちました
ヒルトンホテルの左に 昼間いったタワーが うつくしく光っていました
よ~く見ると 下のほうに サザエさんの顔のイルミがあります
コンサートが終ったのは 9時半ころでした
のんびり待っていたのですが・・・
収容されてた 5万?の人々が
各方面への臨時バスめがけて いっせいにでてきました
まるで 野生の王国の バッファローの群れの狂走みたいでした
立ちどまってるわたしをめがけて とどまることを知らずに
大地をゆるがすかのごとく 押しよせてきたのでした
生まれてはじめて 冗談ぬきに 人の群れに 恐怖をかんじましたよ
なんということでしょう
バスに なかなか乗れなくて
けっきょく 宿の博多駅前のホテルに帰れたのは
夜中の12時ちかくになってましたよ
5月25
5月21
5月13
↑ 観光案内所から見る 温泉津港です
その昔は 石見銀山の銀を積み出した 港です
連休が終わって 世の中が静かになったので
やっと すこし遠くへ ということになった わけです
大田市の温泉津町・温泉津(ゆのつ)温泉へ
お出かけしました
一本道になってる ひなびた旅館街のほぼ中間に ちょっとだけ広くなって 駐車場があります
そこには かわいらしい 浅原才市(あさはら さいち)さんの銅像があります
才市さんは 1932年(昭和7年)に亡くなられた 地元の下駄屋さんなのですが
60歳をすぎてから 浄土真宗の信心を詠んだ 詩をたくさんつくられ
この町のだれからも 親しまれた人だったそうです
銅像の頭には 角が生えていますが
一心に 南無阿弥陀仏を唱えていらっしゃる姿を 画家さんが絵に描いて見せると
「これは わしじゃない わしは鬼だから・・・」と おっしゃったんですって
それで 銅像にも 角が生えてるそうです
以前 入浴したことがあるんですが
湯が すっごく 熱いです
長いこと浸かってはいられないから すぐにあがって
しばらくは洗い場で体をひやしてから また入る
それが ここの作法
壁や 浴槽や 洗い場や とにかく歴史を感じさせるなかで(つまりは なんもかも古びている ってこと)
浜辺に打ちあげられた アザラシのように男たちが(男湯の場合)
ゴロゴロしてる光景は 一種異様なんでございますよ
けれど そこがまた いいのです
この温泉をおとずれたら 一度は かならず入ってみたい公衆浴場です
左の路地の奥に 小さな神社があります
社のとなりに 記念碑がありました
「KONO ONSEN DE GENBAKUSYOO GA NAOTTA」
と あります
1957年 九州大学温泉治療学研究所(現・生体防御医学研究所別府地区)によって
原爆症に対する効能が 報告されている
<ウィキペディアより>
今回は娘と来ましたので 女性に人気の もう一軒の共同浴場 「薬師湯」に 入ることにしました
ほんとは さらにもう一軒 「才市の湯」というのがありますが
これは 温泉街に入る前の 商店街にあって 地元の人の銭湯のようなもの らしいです
温泉津に共同浴場は 全部で三軒あるのですね
「薬師湯」は 道をはさんで 「元湯」の斜め前にあります
こちらは 明治時代に発生した浜田地震により 湯がわきだしたんだとか
すぐ近くにあるのに 源泉は別なんです と
建物の 外観も中もレトロで いかにも女性が好きそうでしょうぉ
お風呂は もちろん一階にありますが 二階が休憩所になってまして
通りをながめながら サービスのコーヒーを いただけます
家具調度品も とってもステキですが 一つだけ不満を言わせていただけるなら
ポスターや 宣伝用の小物が あまりにもたくさんあって
落ちついた雰囲気を こわしているんじゃないでしょうか
まぁ これは個人的な趣味のちがいなんでしょうが ・・・わたし的には 残念です
三階は 屋上テラスになってまして ここからながめる町がまた いいですよ~
そして いよいよ 入浴です
あの~ せっかくですから 写真撮っても いいでしょ~か?
いっしょだったお客さんの許しをもらって パシャッ!
みごとな湯の花が
美しい? 気持ち悪い? どっちでしょうか? こちらの湯も 元湯ほどではないですが かなり熱くて
口にふくむと 鉄の成分が溶けこんでるような(?)
鼻血(?)みたいな 味がします
となりは カフェ・内蔵丞(くらのじょう)です
こちらは 「薬師湯」の旧館だそうでして
昔は ここが「薬師湯」だったそうです
こちらの外も内も 明治・大正ロマンで あふれています
ギャラリーには おかしな絵がいっぱい
これは 町営バスの運転手だった森さんという素人画家さんが 描かれたんだそうです
独特の作風で おもしろいでしょうぉ
宿泊も できるそうです
くわしくは 「薬師湯」さんのホームページ(←リンク)を ごらんください
温泉に浸かりながら お念仏を唱えましょう
なんまいだ~ なんまいだ~
南無阿弥陀仏は 別れの言葉じゃなくて~
また会うための 遠いやくそく~
・・・なんちゃって
野菜カレーを食べました
温泉で蒸された野菜は とってもやわらかくて かなり 美味しかったですよ
それと アイスコーヒー
おしまいに 才市さんの詩を 二つ
あさましの うき(憂き)ことわ たれ(誰)にもあるよ
さいちにもある びょうき(病気)のやまい
さいちにもある びょうき(病気)のやまい
とき(棘)のつの(角) 二ほん三ほん はゑてをる
じひ(慈悲)のかがみ(鏡)で み(見)りゃわかる
あさまし あさまし あさましや
あさましいのが このさいち あさまし
あさまし あさましや あさましや
あさましや あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
なむあみだぶつ なむあみだぶつ
あさまし あさまし あさまし あさましや
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ
*
かぜをひけば せきがでる
*
かぜをひけば せきがでる
さいちが ごほうぎのかぜをひいた
ねんぶつのせきが でる でる
この通りに 山の斜面を利用した けっこうなお庭もありました
5月9
赤いバラも 咲いてる わが家の裏庭です
このアングルだと やっぱり 電車に来て いただきたくなります
*
日本国憲法は
1946年(昭和21)11月3日に発布され
1947年(昭和22)5月3日に施行されました
その公布に伴い 翌年の8月3日 時の文部省によって
中学1年生向け社会科教科書「あたらしい憲法のはなし」が発行されています
その中で「戦争の放棄」を わかりやすく説明しています
戦争の放棄
みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
ごぶじにおかえりになったでしょうか。
それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。
また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。
いまやっと戦争はおわりました。
二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。
何もありません。
ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戦争は人間をほろぼすことです。
世の中のよいものをこわすことです。
だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。
このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、
またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。
その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。
これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。
これを戦力の放棄といいます。
「放棄」とは、「すててしまう」ということです。
しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。
日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。
世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、
相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。
おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。
なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。
また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。
これを戦争の放棄というのです。
そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、
日本の国は、さかえてゆけるのです。
しかし 朝鮮戦争がはじまり 日米安保条約が締結され 警察予備隊から自衛隊の成立する時代の流れの中で
この教科書は1951年に わずか3年で 廃止されてしまいました
*
たしかに 世の中 悪意に満ち満ちている ともいえます
わたしたちは いっぱいごまかされたり だまされたりしています
わたしたちは いっぱいごまかされたり だまされたりしています
どっかの国が 強力な軍事力を見せびらかせば
もっと強力な軍事演習で デモンストレーションする
それは 戦争が目的ではなく 戦争の抑止力になるのだ などと
だます方も だまされる方も
どこまで愚かなのでしょうか
どこまで愚かなのでしょうか
5月6
「スポーツ刈り 0.5ミリで おねがいします」
どこへ行っても 車が多いから
どこへも 行かない 連休中
出雲の行きつけの散髪屋と それから
斐川公園へ かきつばたを見にだけ 行きました
いつからスポーツ刈りに するようになったのか
もう ずいぶん古いですよ
30歳すぎくらいから かな
今では すこしだけ 髪がのびただけでも
とにかく 気持ち悪いんですよ
スポーツ刈りでも 一番短い 0.5ミリです!
散髪したてに 手で 頭をなでるときの 感触は サイコーです
快感です!
中学の時は バレーボールやってましたので もちろん坊主でした が
高校生の時は 肩までのばしてたんですよ
そして いつも
ギターを抱いて 歩いてました
そんな時代だったんです
昭和は遠くなりにけり ですね
スリーフィンガーピッキング奏法が 得意でした
5月5
右を向いても 左を向いても
町中
ツツジが咲いてます
連休中は
もちろん どこへもでかけません
車がいっぱいで 疲れるだけですから
この季節
なかなか目が さめにくいのですが
ちょっとだけ 早起きして
家の前の川沿いを 散歩してみましたよ
緑の木は すこし前の主役だった
桜です
この川には
今日は見えませんが
愛宕山公園に年中棲んでる 白鳥もやって来ますよ(←過去記事クリック)
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