2015年09月
9月29
9月26
9月25
三瓶山の西の原から大田方面へ 1㎞くらい下っていただき
池田小学校への交差点を 右折します
途中 細くなる道を注意して進むと
左側に 小屋原温泉の小さな標識がありますので 左折してください
車が一台やっと通れるような さびしい山道を500mくらい行くと
「熊谷旅館」です
小屋原温泉といったって 旅館はここ一軒だけです
もちろん泊まりもできますが 入浴だけでもOKです
ただし 風呂は3つありますが 運良くどれかが空いていれば・・・です
その一つ一つが 一人・1時間500円で 貸し切りになってます
奥はスリッパが2コあるってことは 2人で一つの風呂に入ってるってことです
一番手前も スリッパが2コありますね
わたしはまん中の風呂に入れるってことです もちろん一人でです
源泉掛け流しで
お湯は かなりヌルイです
夏には ちょうどいいでしょうが 冬場はどうなんでしょうかね
湯の花が スゴイです
お隣りは 左からはお友だちなんでしょうかバアさん2人と
右からはバアさんとジイさんの2人の 声がしてました
昼間っから
熟年のご夫婦で ゆっくりと浸かるには い~でしょうねぇ
お湯の成分中に 炭酸が多いのでしょう
プツプツと からだじゅう 小さな泡に包まれます
わたしのきたない足で おゆるしください
泡がいっぱい ついてるでしょ
話し声さえなければ 人里離れてますので
とにかく 静かです
余り湯は 旅館の横の谷川に溢れ落ちてました
ここにも 湯の花です
9月18
上の画像の左手から 崖をのぼると
宍道町の 来待ストーン(←過去記事クリック)のすぐ近くに
百十二体の お地蔵さんが いらっしゃいました
↑ 室町時代から江戸時代にかけてつくられたらしいのですが
だれが何のために彫りこんだのか よくわからないらしいです ↑
なんせ古いものですから 目も鼻も ツルンとなっちまってます
大きさは 身長50㌢くらいでしょうか
9月6
「中国も韓国も 怒ってるぜ」
「子供たちを 戦場で死なせたくない」
「なにしろ 憲法違反だから」
「危なくなったら アメリカが助けてくれるさ」
島根県大田市の山奥に 石見銀山という観光地があります
何年か前に 世界遺産に登録されました
広島の安芸の国の戦国武将・毛利元就がこの銀山を手に入れて
織田信長や豊臣秀吉から奪われずに守って
ここから産出される銀の経済力をバックに 中国地方全土を支配下におさめました
江戸時代には幕府の直轄領になって 代官所がおかれたということですね
「日本は かつて侵略国で アジアの人々に 迷惑をかけたのさ」
「日本人よ 未来永劫 謝罪せよ」
「二度と 戦争はするな」
「祈ってさえいれば 平和さ」
「日本はお金持ちなんだから お金で解決すればいいさ」
「自分の国さえ とりあえず平和なら 他国のことなどど~でもいいのさ」
「それってほんとに ほんと~なのだろうか???」
五百羅漢は 岩窟の中にあるので とても保存状態がいいのです
この像は 江戸時代にできたということです
一つ一つ見てると まったく飽きないですね
石見銀山は 五百羅漢のほかにも
けっこう見どころがあります
古い町並みや お寺やお宮
それから 銀鉱山としての採掘跡
近場には 温泉津温泉もあります
秋の一日
のんびり のんびり歩くには もってこいです
一日で全部見るには ちょと無理かな
きれいに整備されてて
グッズを売ってる店や 飲食店もたくさんあって
若いスタッフも多く
県内の中では とっても がんばってる観光地です
9月5
白砂が 靴に入る
今はもう
ほとんど 誰もいない浜辺
*** 画像はクリック拡大してごらんいただくと もっといいかとぞんじます ***
安保法制のことを ずっと考えてきました
この論議がおこるまで 60年や70年の安保闘争のことや
憲法や 大東亜戦争のことも ほとんど知りませんでしたし
今の日本が どうしてこんなかたちをしているのかも 考えたことがありませんでした
むずかしいことではありません
要は ずっと平和であってほしいということです
わたしは 今度の安保法制に 大いに賛成ですこの美しい国を守るのは 守れるのは わたしたち自身ですよね
戦争反対は あたりまえのことです
そのためには この平和を守っていかなければならないと思いますよ
9月3
考えてると タイギ~、タイギ~で 体はいつまでたっても動きませんが
よしッ!いくか~ッと ハンドルをにぎってしまえば
そこは かつてハイウェイ・スターと呼ばれたオヤジ(???)
夜勤明けだろうがなんだろうが
でも まだこんな体力あったのか~
と 帰ってきてから 自己満足
31日は どしゃ降りの雨がやまず 萩市での観光をあきらめ
峠道をぶんぶん飛ばして 津和野にたどり着きました
まず 日帰り温泉施設「なごみの里あさぎりの湯」で ひとっ風呂浴びて 体をリフレッシュさせてから
「太鼓谷稲荷神社」に参詣しました
~ 一口メモ ~
稲荷神社の 「稲荷」は
稲が生える稲生(いねなり)が転じてイナリとなり 稲荷(いなり)の字を当てるようになったといわれるが
稲が生える稲生(いねなり)が転じてイナリとなり 稲荷(いなり)の字を当てるようになったといわれるが
太鼓谷稲成神社に限り 願望成就の「成る」をもって「稲成」としており
日本全国数万ある稲荷神社でも このように書くのはここ太鼓谷稲成神社だけ
(正しくは 山口県の元乃隅稲成神社との 二社だけ)日本全国数万ある稲荷神社でも このように書くのはここ太鼓谷稲成神社だけ
家に帰ったら おいなりさん作ってもらって食べよかな なんて思いました
わたしの家の近くには こんなにド派手な神社は珍しく
雨に煙る山間に 真っ赤な鳥居の羅列は お稲荷さん独特の妖しいふんいきが
なんともいえねぇ~ です
も少し若い時分には すこしでもまとまった休みがあれば しょっちゅう
西とか東とか 方向とだいたいの目的地だけをたよりに 車に飛び乗って旅をしたものでした
津和野の稲成神社を拝んだ後は 国道9号線を まっすぐ家に向かって帰りました
今はもう
わたしの旅の終着地は わが家 ということなんですねぇ
9月2
島根の益田市から山口の萩市への 国道191号線は
ずっと 右手に海を見ながら走れます
早くも季節は 秋
夏の想い出を 胸に抱きながら 感傷にひたるにはぴったりです
ここはもう長州
幕末にはたくさんの志士を輩出しました
長門市から下関市は あの安倍首相の選挙区です
コマーシャルなどによく出る 「角島大橋」が見たくて 神社を見た後 行ってみました
道をたずねた地元の人のよれば
「観光客には人気があるようだけんども 地元のものは めったに行かないね」ということでしたが
ど~ですか 美しい海と砂浜です
むこうが角島で ステキな橋だな~
・・・が しかし・・・
水面から かなり高そなところもあるな~
高所恐怖症なので けっきょく 島に渡るのは断念いたしました
元乃隅稲成神社と角島大橋の位置関係は こうです ↓
天気さえ絶好調なら 沈む夕日が見れたのに
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったのでしょう
翌日の8月31日は仕事が休みなので
萩市にもどり 観光しようと思いましたが
この橋を見ているあいだに ポツリポツリと降りだしてた雨は
その夜から どしゃ降りになりました
9月1
雨が降って サイクンナ~マシェン でしたが
(出雲弁で どうにもならなかった ほどの意味です)
久しぶりに ちょこっと 男の一人旅をしました
8月30日 夜勤明けで 愛車の白いワゴンR号をぶっ飛ばして
山口県長門市の「元乃隅稲成神社」へ 賽銭箱が 鳥居の上にあるんで みんな苦労してました
オーバースローより ソフトボール式の下投げがよかったみたいです
この神社の由来などは ↓の看板をごらんください
夏の終わりは なんとなくセンチメンタルになるものですね
ここの景色は そんな心を癒すには ぴったりです
ひと夏の恋を清算するために わたしだけでなく 多くの若者が訪れてました
えッ・・・・・???
出雲を出発して ここにたどり着いたのが ちょうど夕方の5時くらいでした
燃えるような夕日を拝んで
恋の抜け殻となったこの身を 焼きつくそうと思ってましたが(←おい オイッ)
このあと 大雨になって サイクンナ~マシェン でした。
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