DSCN5188.JPG 旧暦10月は 出雲地方では「神在月」ですよね

旧暦10月10日の夜 「千と千尋の神隠し」みたいに ぞろぞろと

全国の神さんが大社の稲佐の浜に やって来なさる

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縁結びの会議を なさりに

でも 長野県にある「諏訪大社」の神さんだけは いらっしゃらないそうです

何でも 「諏訪大社」の祭神の「諏訪明神」は あまりにも大きな体であったために

全国の神さんが 「諏訪さんだけは 来なくってもいいですよ」というんで 諏訪地方も10月は「神在月」なんだそうです


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現在 出雲大社のご本殿は 60年に一度の遷宮(建て替え)中です

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出雲大社は いつできたのでしょうか?

それは あんまり古くって 不明だそうです もともとは 「杵築神社」として地元にあったらしいですが


神話の中では オオクニヌシが国を譲るかわりに 大きな神殿を造らせたのが 起源らしいです

その時 天照大神の命令で オオクニヌシに国を譲るように 説得しに来た神さんが 天穂日命<アメノホヒノミコト>で


天穂日命は そのまま出雲にとどまり オオクニヌシを助けて国を拓き

同時に オオクニヌシの監視役となって 出雲大社の宮司家の祖となった らしいです


大和朝廷が成立してからは 地方の豪族を「国造<くにのみやっこ>」に任命して 宮を造らせ

その地方の祭祀や政治を司らせて 支配に取り込んで行ったんですって


全国に130ほどの「国造」があったそうで だんだんそれは消滅しましたが 「出雲国造」だけは残って

今も 出雲大社の宮司家として 継承されているんですって


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また 「日本書紀」には 659年 今の地に当時の天皇の命令で 特大の宮を造らせた とあるらしい


ちなみに あの「大化の改新」が 645年で、 「壬申の乱」が 672年

「古事記」ができたのが 712年、 「日本書紀」は 720年ですね


出雲大社に関する伝承は様々ありますが どちらにしても

古代日本の国家的プロジェクトとして 建てられったってことは 間違いないらしいです


でも それは「熊野大社」じゃないかって説も あるらしいですよ

「熊野大社」は その頃 出雲大社以上の信仰を集めていた  とも言われてますねー


「熊野大社」の主祭神は スサノウで 出雲大社は その子孫の オオクニヌシですから

本来 スサノウの方が 偉いわけですよねー

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昔は 神社にも社格があったて その国の中で 社格の高いものから順番に 一宮、二宮、三宮、・・・と決められていたらしい

ですから 一つの国に 一宮は一つだけだったのですが 出雲国だけは例外で 一宮が二つあるのです


それが 出雲大社と「熊野大社」です

現在でも そう呼ばれてます

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平安時代の出雲大社は 奈良の大仏殿より高い建築物で もちろん日本一で

48mもあったそうです これは15階建てのビルと同じくらいですって


そのため 平安時代から鎌倉時代までに なんと 7回も ひっくり返ってる(倒壊した)んです と


当時の技術で そんなものを造ることが そもそも 可能なのか 出雲大社に残る絵図面の内容を

大手建設会社の大林組が プロジェクトチームをつくって 検証したんですって


そしたら 可能であるという答えが出た らしいのです

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ところが平成12年 それを実証するように 本殿近くの地下から 工事中に偶然

 高層建築の基礎となる 大昔の 巨大な3本組の柱が 発見されて 大騒ぎになり 一般公開してましたよねー

ののじろうも 見た覚えがあります


現在それは 「古代出雲歴史博物館」に 保存展示してあります

背高のっぽの 平安時代の出雲大社 復元模型も 展示してありますよ


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「出雲国造」の祖は 天穂日命です

実は 天穂日命という神さんは 天照大神の第二子だったんですよ


天皇家の祖が 天照大神の第一子の 天忍穂耳尊<アメノオシホミミノミコ>ですから

系図的には 「出雲国造」は 神話の時代から今なお続く家系 ということなのですよー

DSCN5177.JPG  千家家

現在の「出雲国造」 つまり宮司さんは 第84代の千家尊祐さんです

ですから 千家家というのは 日本史では 天皇家にも匹敵する名門 なのです


皇族といえども 出雲大社の本殿には 入れないしきたりが 今でも守られているとのことです


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さて 出雲大社の社域から続く 右隣(東側)に 地元のものが親しみを込めて 「北島さん」と呼んでる

「北島神社<きたじまじんじゃ>」が あります

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南北朝時代に 「出雲国造」が 兄弟の争いで 分裂してしまったのです

兄の系統が千家、 弟の系統が北島 に 別れてしまったそうです

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それ以来 出雲大社の祭祀は 両家で半分ずつ受け持ってたそうですが

明治時代になって 北島家は 分家・独立するかたちで 新たに「出雲教」という 神道の宗家をつくったんですね


一方の 千家家の出雲大社は 「大社教」ということになって 現在に至ってるらしいです

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出雲大社に行ってみると 左側(西側)に 神楽殿も あります

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「あれは出雲大社にとって 一体 どうゆうものですか?」と 前からよく解んなかったので ののじろうは

本殿のところにいらっしゃった 宮の女性従業員(巫女さん)に 質問しました


そしたら 神楽殿は・・


「拝殿(正面の真ん前にあって、誰もが最初に 普通にお参りするあの建物) の後ろに

本殿(ここには関係者以外は 絶対に立ち入ることはできない) は あるのです

現在遷宮中の オオクニヌシの御霊がいらっしゃる建物ですが そこから その御霊を分けてつくられた

いわば 出雲大社の子の神社ですよ」 と教えてくれました


全国各地にある 大社教の神社は ここの子神社で つまり出雲大社本殿の 孫神社 という位置づけになる そうです


本殿の前の 拝殿で 御祈祷が行われるのですが

実質 そこだけでは手狭で もう一個つくられたって 感じですね


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