最近は 神社ばっかしで

gtYwdOcAMc8cfk1.jpg  BUT!熱し易くて 冷め易いタチですから


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出雲にお集まりいただいた 八百万の神々は 1週間 出雲大社で縁結びの会議をされた後

松江の 「佐太神社<さたじんじゃ>」 に移動されまして

「猿田彦大神」主催で 宴会をされるそうです

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見えている三つの屋根が それぞれ本殿で 本殿が三つある 珍しい造りです

真ん中が 猿田彦大神

左が スサノウノミコト

右が 天照大神        ・・が 祀られている とのこと

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この佐太神社が 出雲国二宮です

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出雲大社のような 長い参道はありませんが 新緑の山をバックに 美しい姿です

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出雲地方の古い神社の 建築様式に 「大社造り」があります

無題.jpg  特徴は 次のようなものです

1 太い9本の柱、 まん中の柱は「心御柱」

2 屋根は 切り妻様式 (三角屋根)で 傾斜がついている

3 入口は 妻入り (入口が 正面にある)

4 床は 高床式

5 平面が 正方形になっている (真上から見ると 正方形)


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さてさて 神々は 佐太神社で宴会を終えた後 斐川町にある

「万九千神社<まんくせんじんじゃ>」に 移動されまして

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ここから全国に 旅立たれます

出雲では それを静かにお見送りすることを

「からさで」 と言っています

そこで ここには「神立ち」という地名が残っていて すぐ近くの斐伊川に架かる橋は 「神立ち橋<かんだちばし>」 と言います

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「万九千神社」は おかしな神社です 「立虫神社」と同居してるんです

上の写真の中の 左のしめ縄がついてる方が「立虫神社」

右のしめ縄の方が「万九千神社」 なのですよ  DSCN5165.JPG

斐川町の田んぼの中にあって 二社合わせても 見過ごしてしまうほど 小さな神社です


 DSCN5171.JPG 「立虫神社」には後ろに 本殿がくっついてるんですが

「万九千神社」には それがなく ただ長方形の神楽殿みたいなのだけの ちっぽけな建て屋のみの神社なんです

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全国の神々がここからお立ちになる 由緒ある神社にしては あまりにもちっぽけです

どうしてでしょう? ・・それは 謎です

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尚、 「万九千神社」の御祭神は 櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命、八百萬神 だそうです


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神話は おもしろいですね

「日本書紀」「古事記」「風土記」に載っている 日本国の創立に関する言い伝えが 神話ということでしょう

日本という国は 神様が造られた国なのですね


「日本書紀」は 天皇家が日本を支配するのを正当化するためにつくられた 当時の国定歴史書なんだそうです

ですから いわば天皇家に都合のいいように書かれている らしいです


日本史の最大のミステリーは 天皇制が未だに続いている という事実ではないでしょうか

藤原氏や 源頼朝や 織田信長や 豊臣秀吉や 徳川家康は

どうして 天皇家を倒して それに取って代わらなかったのか それができなかったのか

不思議ですよねー

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出雲には基本的に 天照大神を主祭神にした神社は 一つもない といいます

古代の日本に 強大な出雲国は ほんとうにあったのかどうか 多々論議はあるところですが


日本神話のおおよそ三分の一を占めるのが 出雲神話で

大国主命の「国譲り」が 重要なシーンとして描かれている

「日本書紀」の中には あの「邪馬台国」に関する記述がない

巨大建築物としてばかりでなく 巨大な宗教的イメージとして 出雲大社が現存している

斐川町の「神庭荒神谷」で おびただしい数の銅剣、銅矛、銅鐸が発見されている


などなど 想像をたくましくすれば 出雲が 日本の成り立ちに大きく係ったことに

疑いの余地は ないと思いますが・・・  m.jpg


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