ご存知 売国放送局のNHKが 2年前の7月「生前退位」を スクープで報じました
政府も 宮内庁も 知らないことでした
おまけに アベ総理は海外出張中で 留守を狙ってのものでした
8月には 陛下がTVで ご意向を表明され

特例法で 来年の ご譲位がきまりました

思い返してみればみるほど おかしなスクープと その後の流れでした
邪悪なNHKは いったいどこから 情報を入手したのか・・・
そして なぜか マスコミは今でも 「譲位」を「退位」といっています

takayama

1945年(昭和20年)8月15日は 終戦日ですが
そのすこし前 近衛文麿は 昭和天皇に退位していただこうと 企てました
譲位ではなく 文字どおりの退位です
位を譲って 上皇になるというのではなく 出家をしていただく
つまり 一般人になっていただく というものです

ソ連やイギリスは 執拗に 天皇の戦争責任を 追及しようとしましたが
GHQは あくまで 天皇の戦争責任は問わない つもりでした
国体護持が 日本側の 唯一のポツダム宣言受諾の条件でしたし
占領統治も スムーズにいくと 考えたからです

また 昭和天皇自身が マッカーサーに面会し こうおっしゃったということです
「私が退位し 全責任を取ることで 収めてもらえないものだろうか」と

日本と まともに戦ったのは アメリカだけでした
日本軍の 本当の強さ 本当の怖さを 知っていたのは アメリカだけでした
天皇を戦争犯罪人にすれば 日本人は 反乱を起こして
アメリカ兵の戦死者は プラス100万人でるだろうと 見積もられたからでした
 
そもそも 戦争責任とは いったい何でしょうか
開戦責任なのでしょうか 終戦をサボタージュした責任でしょうか
開戦=責任が発生するなら ポーランド侵攻したドイツに対し宣戦布告した 英、仏にも
責任が発生するとも いえなくはありません

近衛の 天皇退位論は
とうぜん予想された 戦争責任追及から 天皇を回避させるためだった(?)のでしょうか
昭和天皇は退位させ 次の天皇を 国民投票できめようとさえ 考えていたらしのです
また 後の首相となる東久邇宮稔彦王に
「『世界の憎まれ者』になっている 東条英機に 全責任を負わせるのがいい」とも 語っていました

sensisya

昭和天皇が 目標とされたのは 近代日本を創り上げられた 明治天皇でした
明治天皇には 初期には 大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛・岩倉具視ら 強力な政治家が
後期には 政府に伊藤博文 軍部に山県有朋が 君臨し 支えていました

けれど 昭和天皇には そのようなブレーンはありませんでした
宮中も政党も 軍部でさえも 権力争いにまみれ 最後の元老・西園寺公望は あまりに老いていました

では 近衛文麿は といえば 政治家としての評価は かならずしも定まっていませんが
よくいわれているのは 優柔不断で 軽率で
そして何よりも 困難になると すぐに政権を投げだすところがあった というものです
開戦直前の日米交渉を 途中で投げだしたのも かれでした

昭和天皇は こころの中では 戦争には反対だったらしいのです
日米開戦の準備を前に 御前会議が開かれました
戦争やむなし という意見に 天皇は 明治天皇の 以下の御製を二度 繰りかえして詠まれました
『よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ』

重臣たちは それを聴き 天皇のおこころを忖度して そのときは思いとどまりましたが
その後 石油、鉄くずの禁輸 ハルノートなどがあり 日米は開戦に至りました

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終戦直後に 近衛は 天皇の退位を 新聞記者にほのめかしてしまいました

それを聞いた マッカーサーは 激怒したといいます
マッカーサーは 近衛を「抹殺して」でも 天皇の責任を もちださせたくなかったのです

近衛は 日中戦争から日米戦争の間に 何度も総理大臣になり
戦争に深くかかわっていましたから 自分が戦犯になるだろうことが 十分にわかっていたと思います
結果的に 近衛は服毒自殺 そして 東条以下七名が A級戦犯として 絞首刑になりました

そもそも 日本の戦争責任を裁いた この東京裁判は 正当なものだったのでしょうか?

1899年 オランダ・ハーグで開かれた 第1回万国平和会議での ハーグ陸戦条約の第43条で
戦勝国が 敗戦国の法律を変えてはいけない とされました
ところが アメリカは 日本の憲法まで変えるという 国際法違反をしましたし

東京大空襲などの無差別爆撃や 広島、長崎での原爆投下の 一般人の虐殺も
あきらかな国際法違反でしたが 戦勝国側の犯罪は
一切 問題にされませんでした

1951年5月3日 米上院軍事外交合同委員会の公聴会で
「日本は 連合国側の経済封鎖で 追い詰められ 自衛上(安全保障)の理由から 戦争に走った」
と マッカーサー自らが 述べ

また 2913年2月 衆院予算委員会において アベ首相は
先の大戦の総括について 以下のように述べました
「日本人自身の手ではなく 東京裁判という いわば連合国側が勝者の判断によって その断罪がなされた」

中華人民共和国政府は この発言を批判
上海で開催された 「東京裁判国際シンポジウム」で 華東政法大学の何勤華が
「東京裁判は 人類の正義の力が 邪悪な勢力に打ち勝ったことに伴う 重大な成果で 
正義の法律が 日本の罪人を処罰した 正当行為」と いいました

『正義の力』とは 何でしょう 戦争で勝った方にだけ それはあるものなのでしょうか
日本は ほんとうに 『邪悪な勢力』だったのでしょうか
『正義の法律』とは ことが終わってから 勝手に 定められた基準ではなかったでしょうか

マッカーサーは 朝鮮戦争でも 総指揮をとりました
作戦が どうやら 敵方に洩れているんじゃないかと思うことが 度々あり
中共軍まで参戦したので トルーマン大統領に 原爆の使用を打診しましたが
拒否され 解任され 帰国しました

大統領に立候補しようと もくろんでいたそうですが それも叶いませんでした
次の大統領には かれの部下だった アイゼンハワーがなりました

あの戦争では アメリカとソ連との間に 密約があって
ゆくゆくは半島を 38度線で仕切って支配することが 初めからきまっていた とされています
ここでの アメリカ兵の戦死者は 5万人でした